113: 出産レポ④ 産後、足が動かず UK入院4-5日目
前回深夜の出産までレポをさせていただきました。今日は出産後の朝~翌日の2日間についてブログを書いていきます。
まだまだ続く私の出産&入院ジャーニー。
はじめに
深夜1:30、全身麻酔の状態で無事出産。3:30リカバリールームで目覚めて、麻酔が抜けきれず(あるいは疲れていて眠かっただけ?)6:00ごろまでまどろんでいました。その続きを今日はブログに残したいと思います。
出産後 朝
6:30
少し意識もはっきりしてきたので、助産師さんにあかちゃん(リスポン)の体重を聞いたところ予定日を超過していることもあり、しっかり3000gを超えていました。しっかり育ってくれているようでよかった。
この時点で、私は下半身はまだ動かせず、足には空気圧で循環を促すサポーターが、右手首にはカテーテルがまだつながれており、痛みが走るので動かせず。Gas&Air(笑気ガス)の影響で喉が痛くてうまく喋れず、肺が痛くて息が苦しかったです。肺が痛いのは、手術の影響でおそらく水/痰が肺にたまっていたため。まるで10分息ができなかったリスポンと同じ。肺の水を出すためには、体をなるべく起こしておいた方がいいと医師に言われたので、ベッドをMaxで起こしてもらいました。すごく肺に違和感があって咳をしたかったのですが、咳をするにも腹筋を使ってしまい激痛が走り、のども痛いので、いきみ逃しならぬ、咳逃しをしていました。少し体を起こそうとしても、頭を上げようとしても、何にしても腹筋を使わなければいけないことを実感。帝王切開直後は腹筋が使えないことが一番辛かったです。
つまり、出産直後は実質動かせるのが、首+両腕+左手のみでした。プラスほぼ3日間徹夜状態(1日1時間程度)。極度に眠い+痛い+同室育児のママ業スタート。
7:00
SpO2が97%にまで上がり安定したため、移動の準備が始まりました。搬送時にモニターと痛み止めの点滴などを外され、ベッドのまま産後の大部屋へ移動となりました。助産師2人、リス、リスポンと共に5人で移動。出産後の妊婦さんや赤ちゃんがいる大部屋に移動しました。あとから知ったのはこの部屋は私以外全員、計画分娩で帝王切開した方たちの大部屋でした。
この部屋の担当の助産師さんたち挨拶をしてもらい。私の血圧などをさっそく測定。「朝食何にしますか」と言われましたが、体中痛くて全く食欲がわかず断りました。(ほぼ24時間食べていない状態でした。)その代わりに痛み止めの経口モルヒネをもらいました。経口モルヒネは、シリンジに入れられ、ちゅうちゅう吸って飲む感じで、シロップの味がする薬。子供のころの薬を思い出しました。モルヒネと聞くと、かなり強いイメージがありますが(実際強いらしいですが)、授乳予定であってもOKらしいです。体のあらゆるところが痛く、モルヒネを飲んだ後も効いているのかいないのかわかりませんでした。
こんな体の状態であってもイギリスのNHS病院は赤ちゃんの預かりを基本しないので、リスポンはここから常に私の横にいることになりました。
ここの部屋の担当の助産師さんたちに、私の体調を説明し「かなり、リスポンのお世話してお願いすることになると思います。」と、うまく喋れないシャガレ声で涙ながらにお願いしました。助産師さんには「何かあったらいつでもナースコールのボタンを押してください。」と優しく言われました。
相方のリスが疲れ切っており、家に帰りたいというので、ここで帰って一旦休んでもらうことに。「夜、起きれたら戻ってくる」と言っていました。3日間ほぼ徹夜だし、気苦労も絶えなかっただろうから私と同じくらい大変だったろうなと思います。
病院の大部屋に残された私は、荷物が取りたくてもとれないし、リスポンを抱えたくてもなにもできませんでした。横にいるのに自分では手が届かず、抱えてあげることもできないのでもちろんオムツ交換もミルクも上げられない。リスポンが泣いたときはナースコールをするしかありませんでした。
周りのママさんたちも産後で辛そうではあったものの、自分の足で歩いてトイレに行ったり、自分の手で子供を抱えてケアをしてあげていました。そして昼間ということもあり、ほとんどの方がパートナーと一緒にいて助け合っていました。それができない私は辛くて辛くて仕方ありませんでした。
8:00頃?
私はリスポンが泣いていた時にナースコールのボタンを押し、助産師さんが来てくれ、リスポンをチェックしてくてました。「リスポンの服が汚れてしまっていたので、代えたい」と言われたのですが、リカバリールームで私が微睡んでいる間に、リスポンの服を出したりして荷物を入れ替えられててしまっていたため、どこに何が入っているか、わからなくなっていて、何個もバッグを開けてもらわなければいけませんでした。
ようやく服を見つけてもらい、着替えさせてもらい落ち着いたリスポン。私はベビーベッドに辛うじて手が届く距離だったので揺らしてあげていたら、そのまま寝落ちしていました。
9:30
助産師さんが赤ちゃんのチェックしに来ました。その時、自分が寝落ちしていることに気が付き「今何時ですか?」と咄嗟に聞いたら、9時半と言われ、窓の外が薄暗かったので、「朝の?夜の?」と聞いてしまいました。それくらい疲れていて、もしかしたら夜かなと思ってしまいましたが、「朝」といわれホッとしました。もし夜だったらどれだけ生後0日の赤ちゃんをどれだけ放置してしまっていたのか。。と想像してゾッとしました。
助産師さんに「体が痛い場合は、また痛み止めを出すので定期的に飲んでください。」「また1時間後に来ますね。」と言われても、時計がなかったので定期的と言われても、1時間後と言われても時間もわからず、スマホもどこにあるかわからない状態ですごく困りました。その後も忙しそうな助産師さんにどこに入っているかわからないスマホを探してほしいとなかなか頼みずらく、時間はわからないままでした。
産後メンタルなのか、こういう小さいことを自分でできないもどかしさでポロポロ泣いてしまいました。
10:00
仮眠をとって少し元気になったので、母乳のあげ方を助産師さんに習いました。病院はミルクだけでも、母乳だけでも混合でも自分たちが好きなように選んでくださいというスタイル。私たちは二人で育てていくのに混合がいいなと思っておりました。
下半身はまだ動かない私でしたが、上半身の腕は動くので助産師さんに赤ちゃんをベッドから持ち上げてもらえれば、抱えることはできました。助産師さんにコツを教わり、手伝ってもらって、初授乳チャレンジしたら、ちゃんと赤ちゃん(リスポン)はお乳を咥えてくれました!控えめに言っても、うちの子「天才!(いや、本能か。)」
母乳は出ていなさそうだけど、嫌がらず咥えてくれただけでもうれしかったのを覚えています。けど、痛かった。。。助産師さんに「最初はなかなかお乳、出ないかもしれないけど、咥えさせたりSkin to Skinをすることによって、母乳の出が徐々に良くなるから、出てないかもなと思っても、ミルクあげる前におっぱいを咥えさせてあげてね。」と言われました。
Skin to Skinって何だろう?肌と肌?その時はこのワードをいまいち理解していませんでしたが、肌と肌が触れればいいんだろうと解釈していました。普段なら「Skin to Skinって何ですか?」と聞けるのですが、あまりにもいろいろ助産師さんに頼んでいるのと、知っていることが当たり前なのかもしれないし、無知なのを恥ずかしく思い、メンタルがやられているのもあり、そのときは聞けませんでした。
10:30
母乳が出ないので、ボトルミルクを助産師さんにもらいミルクをあげてみました。ポンの心の声(思ったよりうまく飲んでくれない。)胃も小さいと両親学級で聞いていたので、難しいんだろうとは思っていたので、それほど心配はしませんでした。しかし、ちょこっと飲んだそれを全部吐き戻していて、そのおかげでまた着替えをしなければいけなかったので。また助産師さんに着替えをお願いすることになってしまいました。
その時気が付いたのが、もうこれが最後の着替え服(3着目、大体イギリスでは産後1泊が多いので基本の病院バッグには3着程度)だということ。生まれた直後もすぐ服が汚れて着替えていて。あっという間に着替えがなくなりました。着替えを助産師さんにしてもらった後、次、服が汚れたら着替えがないから頼めないなと思いました。リスが持ってきて来るまで服が汚れないことを祈るのみ。。。一人でどうしようもないことが多く、とても辛くなりました。
その後、助産師さんには「吐き戻しは良いことなんですよ。肺にまだ水/痰が詰まっているので出してあげないといけないから、吐いてOKですよ。」と言ってもらえました。特にリスポンの場合、帝王切開で、最初10分間息もうまくできていなかったし、まだ肺に水がかなり溜まっていたらしい。助産師さんは、背中をポンポンとたたいて、「ほら音が違う。ここまでは水が入っているけど、ここはもう水がない。」と説明してくれました。そう言ってもらえると素直に赤ちゃんが吐いてもいいんだ。むしろ吐かせないといけないんだと思えました。そういう言葉にも救われました。吐物もミルクの色だけではなく茶色っぽいものが出ていました。それが痰でした。
肺に吐いている水(痰)よ、はやく出て行っておくれー。
出産後 昼
12:00
ランチの注文時間。少し寝たのもあってか、朝と比べて少し余裕が出てきたので、頼んでみることに。といってもメニューを考える思考能力が無く、入院2日目に食べたジャケットポテトがおいしかったので同じものを注文。でもやはり半分もたべれませんでした。残すの嫌いだけど、無理だった。同じものを頼んだはずが、2日前よりだいぶ見た目も味も地味だったしな。。。(チリコンカンがかかっているはずが、ベイクドビーンズに代わっていた。)24時間以上何も食べず、出産しほぼ3日間寝てもいなくても、なんとか気力で起きてられるもんなんだなと思いました。
13:30
リスポンへの授乳指導をもう一度してもらいましたが、やはりミルクはまだ出ませんでした。なので、またボトルミルクをもらおうとしたところ、「基本的にはご家族で用意していただき、病院からは緊急用で1日1本程度しか上げられないのですよ。」と言われてしまいました。
えーーー。リスポンにあげるミルクがない。。乳も出ない。
NHSホームページに記載されているHospital bagに入れるグッズのリストの情報は2020年から更新されていなかったため、液体ミルク(すぐ飲めるタイプの常温タイプ)は入っていなかったのですが、ちょうど1か月前にルールが変わり、ミルクは持参することになっていたようで、病院内にその内容の張り紙がありました。それを知らなかったので準備はしていなかったし、私は動けず買いに行けない、リスはいないし、スマホも手元にない。
これは絶対に困ると思い、助産師さんにカバンの中から何とかスマホを探してもらうことにしました。そして、すごーく恥ずかしながらもう一回だけ特別にミルクをもらうことにしました。スマホも何とか見つけてもらい、リスには今日中にもう一回病院に来てもらい、着替えとミルクを買って持ってきてもらうようにメッセージを送りました。
すごく肩身が狭くなり、母乳も出なければ、ミルクも買ってあげられない、これでリスが来なかったらどうしようと、自分ではどうもできないことが多すぎて、また助産師さんがいないところでポロポロ泣いてしまいました。
その後も1時間おきくらいにひっきりなしに、助産師さんやHealth Care Assistantによる検査や状態確認などが行われ、寝る暇は産後もありませんでした。
午後になり、麻酔医師③が来て私の回復具合をチェックしに来てくれました。コールドスプレーで感覚チェックされたり、カッケの検査や「足を上げてみて」とか「指動かして」と検査が始まりました。通常は全身麻酔でも半日程度で、通常通り動けるようになるらしいのですが、私はまだ下半身はしびれた感じで、麻酔が残っているような感覚で、まだ足の親指、足首、膝など全て動かせませんでした。麻酔医師はまだ動けないことをやや心配していました。
まだ、全身あらゆるところが痛いのもあり、ここから定期的に経口モルヒネをもらうようにしていました。
16:00
助産師さんに手伝ってもらい、ちょこっとだけですが、黄色い初乳が出ました!すごく少量(0.2mL程度)なので1mLの小さいシリンジで助産師さんが吸い取るように取ってくれました。その時は驚きと同時にとてもうれしかったです。そのシリンジを使いリスポンに飲ませることができました!初乳はいろいろな抗体が入っているので、吐かないようになるべく立て抱っこをしていました。
今、考えると本当に微量で、飲めているのか?飲ませても変わらんじゃないか?くらいの微量。でも、そのちょーーーっとの初乳を助産師さんは大切に取ってくれたし、褒めてくれたし、悲しいこと続きだったので、すごくx100うれしかった思い出です。
出産後 夕方
夕飯を注文し、リスポンのためにもちゃんと体力付けて、母乳が出せるように備えないとと思い、なるべく完食するようにしました。これが日本だったら出産日の夜ご飯?祝い膳だったんだろうな。。。NHSのメニューはいつも同じでそこから自分で選ぶスタイル。それでも、頼んだものがもうなかった場合、勝手に違うものが持ってこられるようで、頼んだもの以外が来ることもしばしば。好き嫌いはあまりないほうなので、出されたものは食べるようにしました。
サーモンパスタ(私が選べるリストのNHSの病院食で一番おいしかった)
そして、ようやく睡眠をとった相方のリスがようやく赤ちゃんの追加の服とミルクを持ってきてくれました。朝7時からここまで10時間くらいでしたが、本当に辛かった。。。リスがいる間は助産師さんに頼まなくてもリスポンのケアをやってもらえるし、なんでもカバンから気兼ねなく物を探してもらったりできたので、気がすごく楽になりました。
出産後 夜
リスは病院に泊まれないので家にまた帰宅。リスがいなく助産師さんになんでも頼まなければいけないこの時間がすごくすごくつらかったです。何もできないのに、リスポンが泣いたら、助産師さんにお願いし、夜の間も私の検査、リスポンの検査に、先生や助産師さんがひっきりなしに来ました。授乳の際にはお乳が出なくてもまず最初におっぱいを咥えさせて母乳が出るのを促すように努力しました。
リスポンは生まれたばかりだからかどうかわかりませんが、良く寝てくれて、あまりぐずらなかったので(3-4時間連続睡眠)、助産師さんを思ったよりも呼ばなくても済みました。生まれた直後からすごく親孝行な子でした。
出産翌日 朝-昼
朝、また手術を担当した麻酔医師②とその上司が来て、私の具合を確認しに来ました。昨日の午後の経過を麻酔医師③から聞いていたらしく、まだ足を動かせないことを心配していました。上司と共に来ている感じ、なんだか謝罪に来ているんだなと感じましたが、私は別に足が動かなくなったことに関して怒りは全くなく、むしろ、生まれた時息できなかったリスポンを助けてくれてありがとうという気持ちでいっぱいでした。足が動かないことで、子供の世話がうまくできないことについてはすごーく悔しくてたくさん泣きましたが、先生に対して怒るという気持ちは全くなく、情けないなと言う気持ちでした。
この時点で、前日から、ずっと座った体勢が続いていたため、ベッドとの接触面が全部痛く、常にマッサージしてほしい様な状態。。そして腰は側弯の影響もあり、めっちゃ痛かった。
先生たちの判断で、体がうっ血しないように、Health Visitorに体を定期的に左下、右下に枕を入れて少し体を横にしてもらうようになりました。
リスが9時ごろから来てくれたので、助産師さんをあまり呼ばずに済みました。「赤ちゃん小さすぎる。」「痛くないかな。」「できなーい。」とリスは苦戦しながらも、着替えをしたり、ミルクをあげたり頑張ってくれました。私は体があまり動かなくても、それほど恐れず、赤ちゃんの着替えやミルクを上げるのは、なんか勢いでできました。母は強しってやつですかね?
出産翌日 夕方
その後、平日計画分娩(帝王切開)だった同室の家族は徐々に退院していきました。その時も、みんなは退院していくのに、私は全然退院なんてできる気がせず、そんな自分がとても不甲斐なく悲しくなりました。それと同時に、夢の個室(大部屋1人だけ)になりVIPルーム感がありました。個室とは言っても部屋に扉はなく(開けっ放し)授乳時などは、カーテンを仕切って小部屋のようにはしていました。
本当に私のエリア以外カーテンもすべて開いていたので大部屋VIPルーム感がありました。患者も私しかいないので、スタッフの方とほんの少しですが、少し顔見知りになって、病院にも慣れる余裕がでてきました。
(産科は2交代制=12-13時間/日勤務でシフトを回しているので、週3勤務程度の人が多く、エリアごとに担当の助産師さんが割り当てられているため、あまり同じ顔の人を見ないのです。)
また、麻酔医師の先生が来て、チェック。やっと足の親指は動かせるようになりました。しかし、足首以上はまだ動かせませんでした。
今日もここでリスはUberで帰宅。
出産翌日 夜中
23:00
再度、麻酔医師②(ようやく気が付いたが、この先生は夜勤勤務のローテだったらしい。)が来て、1日半経っても動かない私の下半身不随を心配し、麻酔の影響だけではなく、脊椎神経の損傷がないとも言い切れないので、現在ある大学病院にいる脊椎神経専門の先生と連絡を取っており、念のため検査をした方が良いかもしれないと話していると言われました。なるべく早いほうがいいので明日にでもと。
えっ!なんか大ごと。。
私としては脊椎に違和感があるとかはなく。足の親指も動いたから、たぶんカクテル麻酔がまだ抜けてないんだろうな、脊椎に問題って感じの感覚ではない気がするとあっけらかんに考えておりました。医師も脊椎損傷の可能性は低いとしつつも、それをルールアウト(可能性として除外する)する意味でもMRIの検査をした方がいいのではないかと、専門医が言っていますので、と言われました。
検査をすれば原因もわかり安心だし、なんと言っても検査好きの私は、もし検査をすることになったら、それを実施することに対しては即同意!
はい、喜んで!医師はそこででは、予約の手配を進めることになりました。私は、今日こそは夜ちゃんと寝るぞ!と誓った夜中でした。
おわりに
出産後のメンタルUP/ Downが激しい2日間についてでした。産後だいぶ経ってからの投稿になりましたが、出産レポはスマホに残していたので、これからも時間を見つけて、書いていきたいと思います。
本日もここまで読んでくださりありがとうございました。
過去の出産レポ
出産レポ①↓卵膜剥離
uk-ninpu.hatenablog.com
出産レポ②↓陣痛促進
uk-ninpu.hatenablog.com
出産レポ③↓出産
uk-ninpu.hatenablog.com